福永念珠舗 福永荘三さん2
お待たせしました!第三回も、前回に引き続き、福永念珠舗の九代目当主、福永荘三様のインタビュー記事です。
前回は「お念珠」について、分かりやすくお話して頂きましたが、今回は、荘三様ご自身のことを色々とお伺いしましたので、そちらの記事をアップさせて頂きます。
念珠職人としてのお話
*福永念珠舗は、寛政九年創業、200年以上の歴史を持つ老舗ですよね。
会社の沿革を簡単にお話しますと、元々は滋賀県の長浜市にある誓伝寺の僧侶の出なんです。次男が京都に出て、現在の地で小間物商を始めたけれど、京都という土地柄や、東本願寺前という地のお陰で、また、近江誓伝寺の出身ということもあって、初代のうちに念珠製造専門店になりました。
*そのような老舗のお店にお生まれになって、いつ頃から数珠を作ろう、九代目を継ごう、と思われたのでしょうか。
高校の時はオフシーズンは体力づくりとイメージトレーニングで、冬休みになると家にいませんでした。ずっとスキー合宿!大学に入るともっとひどくて、年に100日近くは雪山にいましたよ。
四回生の時にスキーメーカーバックアップを頂くまでは合宿代や移動費、スキーの道具やウェア代で年に100万円ぐらいかかっていたと思います。少しのバイトはしていましたが、その頃スキーに没頭出来たのは両親が何も言わず、思いっきり部活をさせて頂けたことのお陰です。それで、自分が親に返せるものは試合結果、賞状とトロフィーしかないと思って必死で頑張りました。限界のトレーニングで体もよく壊したけどね。
精神的に自分に負けたら負けの競技、休んで歩いたら負けの競技やから、ゴール前になると意識がほとんどないんです。肉体的・精神的にも全て使い切るペース配分が勝敗を決める競技ですね。でも、今の自分が頑張れるのも、その頃の経験のお陰やと思います。人間形成の一つになりました。
*お念珠屋さんの当主がクロスカントリースキーっていうと、なんだかちょっとイメージと違うのですが(笑)、さらに驚いたのは、ホームページも荘三様ご自身で制作されたそうですね。
そうなんです。2000年の年初に立ち上げました。99年には構築していたけど、コンピューターの2000年問題の心配があったんで。
元々パソコンは全く駄目だったけど、(社)京都青年会議所に入って便利さを知ったんです。それでパソコンを購入して、95~96年になると、世間でもホームページを持つ企業が増えて来て。当時は自社のホームページを持つことがステータスのように感じたのですが、外注すると数百万円だったんでね。余分なお金は払えないので、青年会議所の活動の中で自分で勉強し始めたんです。
*かなり内容が充実していて、私も福永念珠舗様のサイトでお数珠のことを勉強させて頂きました。
かっこいいハイテクなことはしていませんが、見に来て頂ける方々に「役に立たなければ意味がない」という感覚で作っているんです。
*スキーやホームページ制作は、随分念珠屋さんのイメージとは違ってびっくりしました。
商売柄、純和風の家に生まれたからでしょう。父親が来るまでご飯に手をつけない、台所に男は入らせない、というような古風なおばあさまがいましたからね。そうそう、お箸の持ち方や読み書きそろばんにはよく注意されました。七代目おじいさまは父が三歳の時に亡くなったので、それからは明治の生まれのおばあさまが女性主人として、戦時中ずっとお店を守られたんです。女性の強さがありますね。和の文化の中で育ったから、逆にデジタル的な事や家にないものに興味を持ちました。
*手作り教室や講演会等もされているそうですね。
手作り教室は、お念珠を作って持ち帰ってもいますので創作する楽しさがあります。でも、お念珠にどういう意味があるのかという少し講演を先にさせて頂くことによって、お念珠の大切さを解って頂けたり数珠の普及活動にもなると思うんです。歴史や背景、思いを伝え、ただのアクセサリーじゃないんですよ、本日から大切に使って下さいね、と伝えると、参加されて作る皆さんの真剣さも変わるんです。
講演会では、宗教的な意味合いのお話だけではなく、京都の伝統工芸としていろんな職人さんがいる中で、そのうちの一人としてお話をします。いかに継続していくことが大変か、いかに残していくかが大切かをお話し致します。八代目の親父までの時代には戦争があったり、平和な時期もあったりして、その中でお念珠の必要性も色々な形に変わって来た。時代時代の対応や、その都度に変革し、作り方や売り方も試行錯誤しながら、今日まで続いて来たんです。だからのれんを大切に守り続けていかなければいけません。
*このお商売をされていて、一番嬉しいことってどんなことでしょうか。
数珠は持たれる方の一代で終わるものではなく、次の世代に引き継げるものですが、糸はいつか切れてしまいます。糸が切れると修復に来られるのですが、玉を見れば歴史が分かるんです。そのように永く使ってもらえるものを作れることは嬉しく思います。
親からもらった数珠の糸が切れ、修復に持ってこられた方は、「大切にしていたものが元に戻る嬉しさ」を感じて下さいます。お金を頂いて商いをしているのに、お礼を言ってもらえるんです。商売をしていてお客様からありがとうと言われることは凄く嬉しいですね。
そしてもう一つ、この商売をしていて、人とのご縁を沢山いただいています。私は30歳から40歳の間に1000人のお友達を作りたいと思っていたけれど、10 年で1000人を超えるご縁をいただきました。お陰様で日本のどこに行っても沢山のお友達がいます。色々な人から応援して頂き、いけないことをしたら親以外からも本気でお叱りいただける。だからこそ、姿勢を正して、京都の町にいられるのかもしれません。
*お念珠は一つ一つ手作りだそうですが、どんなことを思いながら作られるのでしょうか。
「数珠が一つ欲しくなった、作ってほしい」というお客様の目の前で作るのは、「お客様のご本人のために作る逸品」ですので作りやすいけれど、店で在庫で並べる場合は、先作りなので難しいです。誰が使って頂いてもよいように、丁寧に作るしかないですね。お念珠は他のお菓子や工芸品と少し違って、「思い」があって初めて使われるものです。お作りするときは真剣に取り組まないと、ろくなものができない。お金目当てだけでお念珠を作ってしまうと、京念珠というのはなくなってしまうでしょう。
おばあさまには子供のころから、頭をなでられながら、「胸を張るな、頭を垂れろ」と言われてきました。
頭を垂れる、頭を低くして、ありがとうという感謝の気持ちで数珠を作らせてもらう。胸はって「俺の作るお念珠は凄いやろう」とか「俺こんなんできるねん」と思って作ってはいけないっていう意味ですね。子供の頃は難しい言葉で意味が分からなかったけれど、今になっておばあさまが伝えたかったことがよく分かるようになりました。
いつも全ての人やものに感謝して、玉になる材料の自然の力に感謝してお商売しなさい、自然の恵みがひとつの玉や糸の材料として集まって、伝承される技術の中でお念珠の形になる、それを大事に思えばこそ、これからもずっと良いお念珠が作っていけるんだということを、おばあさまは言っておられたんやと思います。
また、昨年亡くなった八代目当主の父には人とのご縁、自分を取り囲む全てのものに対するご縁の大切さを、口数こそ少ない父でしたが父の背を見て学びました。多くの人に囲まれ、いつも楽しそうに笑顔を絶やさず、いつも自然体で接し、そのご縁に感謝をしている父の姿が私には誇りに思います。
生涯どれだけのことができるかはわかりませんし、納得できるお念珠ができるのはいつになるのかもわかりませんが、今できることを精一杯頑張り精進していきたいと思います。
★今回のインタビューでは初めて知ることばかりで、普段なかなか聞けない、貴重なお話をお伺いすることができました。お念珠はもちろんですが、他のどんなモノも、「自然の恵み」と「モノ作りの技術を持った人の手」が無ければこの世には存在しません。改めて、自分の身の回りにあるモノを大切にしなければいけないな、と思いました。
貴重なお話を、本当にありがとうございました!!



